札幌から北北東に62km。 石狩川を眺める樺戸郡浦臼町「鶴沼」の南西向きの斜面に広がる、 日本でもっとも大きな447haの垣根式の葡萄畑は、まるで海外のワイン産地を思わせます。 ここが北海道ワイン株式会社の誇る自社農場「鶴沼ワイナリー」です。
地理的に雪の多い地域である浦臼町鶴沼は、冬の間、葡萄樹を雪の絨毯で覆っています。冬季間の平均最低気温が-10℃にもなる浦臼町では、葡萄樹を覆う雪が保温の役目を果たします。同時に、そのままでは雪の重みで枝や幹を折ってしまうため、葡萄の樹を斜めに倒して、越冬させています。雪解け前の鶴沼の畑では、葡萄樹が雪のゆりかごに包まれているのです。
雪が融けると春の作業が行われます。隅柱をたてて番線を張り、倒れていた葡萄樹を起こし、下草を刈り取り、芽欠きをする。秋の収穫を思い手間のかかる作業をもくもくと続けていきます。
9月中旬になると、葡萄が順次収穫の時期を迎えます。鶴沼シリーズとしてリリースされている葡萄の数々です。第一号ワインの品種としても思い入れのある「ミュラー・トゥルガウ」や、辛口で長期熟成にも適した「ヴァイスブルグンダー(ピノ・ブラン)」、オーストリアのワインを代表する赤ワイン品種「ツヴァイゲルト」ドイツのバーデン・ヴェルテンベルグ地方で親しまれている赤ワイン品種「レンベルガー」、いくつものコンクールで栄誉に輝いているアルザスを代表する白ワイン品種「ゲヴュルツトラミネール」など、鶴沼の広大な園地での収穫作業が続きます。収穫された葡萄は、鶴沼ワイナリーに併設している工場で搾汁され、小樽の本社醸造所へ運ばれてきます。そして、これが「鶴沼」シリーズへとなるべく醸造作業が行われていきます。
11月、収穫が終わり、雪が降り始める頃になると、冬の眠りにつくための作業が行われていきます。不必要な枝の剪定作業に始まり、番線を下ろして葡萄樹を寝かせる作業など、本格的な降雪となる前に作業を終わらせなければならないため、雪の中でも行われることもあります。すべての作業が終了すると、ようやく来春の目覚めまで、鶴沼の葡萄樹は冬の長い眠りにつきます。
※日本ワインコンクール(国産ワインコンクール)については銀賞以上を表示
営業時間:
夏季(4月中旬より10月) 9時より16時
冬季(11月より4月中旬) 9時より15時30分
営業日:天候状況等により、直売店の営業を行わない場合があります。
直売所の営業状況については、鶴沼ワイナリー(TEL:0125-68-2646)までお問い合わせください。
【連絡先】
有限会社鶴沼ワイナリー
〒061-0600
北海道樺戸郡浦臼町於札内428番地17
Tel:0125-68-2646
Fax:0125-68-2086
鶴沼ワイナリーの歴史は、北海道ワインの歴史とも言えます。
1971年当社創業者嶌村彰禧は、仕事で旧西ドイツを訪れた際、縁あって国立ヴァインズベルグ・ワイン果樹教育試験所に立ち寄りますが、これが運命的な訪問となります。嶌村彰禧は、同所校長のDr.ゲーツらと、ブドウ談義をしながら、欧州北限産地であるドイツのブドウ品種ならば、寒冷地の北海道に根を下ろすことが出来るのではないか、しかも、梅雨や台風の影響も無く夏の長い日照時間はブドウを完熟させられるのではないか、と直感します。
帰国後、縁のあった北海道樺戸郡浦臼町の友成一夫町長より、「大規模な水田の耕作放棄地がある」との運命的な相談を受けます。嶌村彰禧は仕事で全道をまわっていた時、離農が止まらない北海道農業の現実も見ていました。「北海道の農業に希望が無くなりつつある」「北海道の農業を支えなければ」との強い信念を抱いた嶌村彰禧は、浦臼町鶴沼に11 ha の土地を取得します。農業は人間が必要で、それゆえに雇用を生み出す力がある。北海道の産業に役立つ原点は葡萄作りだ。ワイン造りは農業なのだ。故郷山梨での光景、北の大地の大きな可能性、武士道精神、そして根っからの正義感が、嶌村彰禧を突き動かします。そして、嶌村彰禧の志に共嗚した数名の仲間たちとともに、空知管内浦臼町鶴沼の地で前人未到のブドウ畑開墾に着手しました。
鶴沼ブドウ畑の開墾に着手。当時国内で実績の殆ど無かった「垣根式」にて、セイベル種のテスト栽培を開始。専門家からは「寒冷・豪雪の北海道で欧州系ブドウなど作れるわけが無い。120% 無理だ!」と断じられるも、信念は揺るがず。ゼロからの格闘が始まります。
1月に拠点の小樽に北海道ワイン株式会社を設立。同時に鶴沼の畑を127 ha に拡大。3月には本間恒行ら社員を、運命の地「ドイツ国立ヴァインズベルグ・ワイン果樹教育試験所」へ派遣。
1975年4月には、ドイツ、オーストリア、ハンガリー等より、20 数品種6,000 本もの苗木が羽田空港に到着。輸人苗木は検疫の為、横浜植物防疫所指定畑で1年間の検査植栽を受ける。ー方鶴沼では、苗木到着までの間、伐木、除礫、土起こし、また素人なりに農業を身につけようと、カボチャやトウモロコシの栽培も経験。
検疫を終えた苗木6000 本を植えて行くが、重粘土質の荒れた土壌が根を阻み、そのほとんどが枯れ、残っのは僅か300 本。社員は、何とか改善すべく、貰いもので自前で作った大量の堆肥を荒れ地に注いだり、水はけ改善の為、暗渠(地下排水溝)の土木工事を施す。
更に野性動物の食害に悩む。野生のウサギやネズミがブドウの新芽や根元を噛んで枯れてしまうので、鶏小屋の屋根に使う金網を裁断して、苗木の根元にかぶせて防御。この方法は現在でもドイツから輸入する素材で活用されている。
冬の間に、雪の重さで苗木の枝折れや幹割れが続出。ドイツから遥々やってきた苗木たちは、北海道の豪雪の洗礼を受ける。嶌村は「人間、自然の理に反する事はできない。自然にはただ無心であれば良い。よし、ブドウ樹を斜めに植えてみよう!」と社員に提案。水平面に対して、斜め75 度の角度で植えてみる事に。この栽培方法は成功し、北海道の各地で今も続いている。さまざまな困難に加え、お金も無く、誰も教えてくれず、知恵を絞るしかなく、試行錯誤を繰り返し、それでも光は見えつつあると信じました。
ドイツに派遣した本間恒行に指示した事は、ブドウ栽培・醸造技術を習得する事、苗木を鶴沼に送る事、そしてもうーつ「ワインと共に育ったドイツ人を同級生から見つけて、北海道に連れて来る事」でした。本間は、同試験所で学んだ約30人の中から、優秀な成績を収めたグスタフ・グリュンに白羽の矢を立てます。千二百年前からドイツでブドウ栽培・ワイン醸造を専業にしてきたグリュン家に何度も足を運び、彼の両親に「北海道でドイツを手本としたワイン産業を輿したい。グスタフの力が必要だ」と説得。1978年4月、北海道に頼もしい助っ人がやって来ました。グリュン氏の栽培手法には目をみはるものがあり、ようやく賠いトンネルを抜ける事となります。
30数年前に植栽したトラミーナ(ゲヴュルツトラミネール)とグリュン氏
秋、鶴沼ブドウ畑では、ドイツから遥々やってきたミュラー・トウルガウ種が実を結びます。皆感無量でした。約4 トンを収穫。
醸造の最後の仕上げでグリュン氏は、日本では一般的だった「加熱処理(火入れ殺菌)」をー切行いませんでした。「良いワイン造りに熱は大敵である」事を、当たり前に実践して見せてくれました。出来あがったワインをテースティングした瞬間、ブドウの豊かな香りが涼い、しかも、甘口で飲みやすい。「日本人の嗜好を考えて味わいを決めてみた」と言うグリュン氏や、社員皆と一緒に乾杯しました。
2月、第一号ミュラートウルガウ1979が初出荷されました。1,900円で3,000本。
◆飲酒は20歳から。◆お酒は美味しく適量を。◆飲酒運転は法律で禁止されています。◆妊娠中・授乳期の飲酒はやめましょう。
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